8)日本近代養蜂の始まり
養蜂改良説の出版
明治23~4年に小笠原島から西洋蜜蜂を2~3回取り寄せ、本土で繁殖を行た玉利喜造はその前年の明治22年に「養蜂改良説」を出版していました。これは日本人による最初の養蜂書です。
――>養蜂改良説写真準備中
「養蜂改良説」は国会図書館DLで閲覧できます。
話しが少し、さかのぼりますが、内務省勧農局新宿試験場の中に農学校がありました。これは明治?年に駒場に移転しました。現在の東京大学農学部の前身です。田中芳男がその設立に関わり、内務省の主要人物ネットワークの一つの根幹でした。
――>東京農林学校について詳細準備中
――>友田氏引用準備中
玉利喜造はアメリカ留学から帰って、この農学校で教授となりました。明治21年(1888)のことです。玉利喜造はアメリカから、近代農業技術を持参しました。その一つがアメリカで一大産業となりつつある近代養蜂でした。
――>近代養蜂について詳細準備中
――>ラングストロフと著書写真準備中
玉利喜造は帰国後すぐに農学校で蜜蜂試験を開始しました。以下のようです。
○明治21年、山梨県から日本蜜蜂2群購入
○明治22年、山梨県から日本蜜蜂2群再購入
○明治23年、小笠原島からイタリアン種を1群購入
アメリカからイタリアン種を1群購入
○明治24年、小笠原島からイタリアン種を1群再購入
アメリカからイタリアン種を1群再購入
そして、玉利喜造は「養蜂改良説」を明治22年に出版しました。ここには実験1年目、2年目の結果が記述されています。また、明治25年に出版された第版には3年目、4年目の実験結果が記述されています。
「養蜂改良説」内容
初版には目次は付いていませんが、内容は以下のような項目になっています。
自序
総論
上編
蜜蜂
種類
蜂の三性
養蜂の原料及び生産物
蜂巣
分封
下編
養蜂管理
種巣
巣捜索
巣箱
巣礎
養蜂場
蜂群を改良巣箱へ移す事
夏期管理及び分封分巣
蜂蜜採収及び製蠟法
冬期管理法
蜂の害敵及び病
蜜蜂の好む重要の植物
外編
二十一年の結果
二十二年の結果
蜂蜜の商況
明治25年の第二版では再版自序と目次が付き、「二十二年の結果」の後ろに「追加」として明治二十三年、二十四年の結果が記述されています。明治45年の第5版では目次の前に10ページにもわたる、はしがきが追加されています。
「養蜂改良説」はアメリカで一大産業となりつつある近代養蜂の日本最初の解説書でした。以下、内容を見ていきます。
初版自序からわかる出版の経緯と目的
「養蜂改良説」は玉利喜造がアメリカ留学から戻り東京農林学校で講義したアメリカの近代農業講義の中から、養蜂に関するものをまとめ、東京農林学校で行った養蜂試験の結果を加えたものです。次のようにあります。
余は茲に余か講義録中養蜂篇を添削し尚ほ東京農林学校に於て行ひたる養蜂試験の成績を付記して小冊子を編み之を世に公にせんと欲す。
出版の目的も書かれています。それは農家の副収入の一助になればとの思いです。
我が邦の如き最小規模の農業を維持して収利を計るには農家の余業として種々の副産物を出すへき道を講するにあり。養蜂の如きその一たり。・・・・・若し此書にして聊か我か農家に卑益あらは幸甚。
総論について
1)アメリカの近代養蜂が形成されるまでの過程をまとめています。フランシスヒューバー、ザーゾンを経てラングストロフによって確立された改良養蜂を新発明と言っています。
ーー>解説準備中
2)新発明とは具体的にはラングストロフの巣箱をさしています。次のようにあります。
従来の固定巣箱に代はるに転換巣箱を以てするにあり。
ーー>解説準備中
3)転換巣箱によってアメリカの養蜂は飛躍的な進化を遂げ、従事者、収入とも増大したことや、婦人従事者も多いことが記述されています。日本でもこのラングストロフの巣箱を採用した養蜂をしたら農家の副収入が必ず増すとの信念をもってアメリカ近代養蜂の各論にすすんでいきます。
而して是れか為め蜜蜂の管理容易にして収蜜の量多きを加えへ隋て此業に従事するもの多く・・・・(中略) 米国に於ては養蜂を以て婦人の職業とし今日は婦人の大養蜂家すくなからさるなり。
以下、準備中
内容について
生態、飼育法、蜜源植物、
種巣(種蜂のこと)について
武田昌次への言及あり
巣箱について
寸法(図あり)
試験について
1)いきさつ
2)21年、2群購入、結果
3)22年 2群購入、結果
巻末挿絵について
第2版自序について
第3版巻末広告について
第5版はしがきについて
日本養蜂における「養蜂改良説」の役割について
東京農林学校の養蜂試験総括について
「養蜂改良説」の反響と影響について
玉利喜造の養蜂後継者について